羽仁五郎(はに ごろう、1901年3月29日 – 1983年6月8日)は、日本の歴史学者・マルクス主義歴史家・政治家です。旧姓は森で、群馬県桐生市出身。東京帝国大学史学科卒業後、ドイツのハイデルベルク大学で歴史哲学を学び、帰国後は日本大学教授として史学科を創設。マルクス主義の影響を受け、1928年に三木清らと理論誌『新興科学の旗の下に』を創刊し、1929年にプロレタリア科学研究所の創設に参加するなど、反ファシズム活動を展開しました。
戦前、1933年と1945年に思想弾圧で2度検挙されるも、戦後には日本学術会議議員や参議院議員(1947-1956年)を務めました。代表作に『転形期の歴史学』(1929年)、『歴史学批判序説』(1932年)、『ミケルアンヂェロ』(1939年)、『明治維新史研究』(1956年)、『都市の論理』(1968年)があり、特に『都市の論理』は1960年代の学生運動でベストセラーとなり、若者たちに大きな影響を与えました。
1926年に女性活動家の羽仁説子と結婚し、旧姓を改めました。息子の羽仁進は物理学者です。人民史観や歴史哲学の分野で革新的な業績を残し、戦後日本の知的界に多大な足跡を残した人物として知られています。
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歴史家 羽仁五郎「批判がないところに進歩はない。明るい日本をつくろうと思うから、日本の歴史を、過去と現在の暗黒面を直視するのだ。無批判の愛国心は利己主義にすぎない」https://t.co/S3YhhJqpiF
「批判がないところに進歩はない」:…
— NewsSharing (@newssharing1) November 7, 2025
【ソース】歴史家 羽仁五郎「批判がないところに進歩はない。明るい日本をつくろうと思うから、日本の歴史を、過去と現在の暗黒面を直視するのだ。無批判の愛国心は利己主義にすぎない」
1. 羽仁五郎の思想的立場マルクス主義の影響を受けつつも、スターリン主義を批判。
戦時中の治安維持法下でも言論活動を続け、投獄された経験を持つ。
戦後は**「平和憲法の擁護」「民主主義の深化」**を訴え、権力への盲従を強く戒めた。
2. 「批判がないところに進歩はない」の文脈この言葉は、権威主義や全体主義が「批判を封殺」することで社会が腐敗・停滞することを警告しています。ナチスドイツや戦前の日本では、異論を「非国民」と排除し、戦争へと突き進んだ。
戦後の日本でも、官僚主導の政策や企業・政府の不祥事隠蔽に対して、市民・知識人の批判が欠かせないと主張。
「批判を許さない社会は、必ず誤りを重ね、破滅へ向かう」
→ これは彼の歴史観の核心です。
「批判がないところに進歩はない」: 進歩や改善は、現状に対する批判や問題意識から生まれるという認識を示しています。
「日本の歴史を、過去と現在の暗黒面を直視する」: 愛国心とは、単に国を盲目的に賛美することではなく、その歴史的な過ちや問題点も含めて正直に見つめ、理解することだと主張しています。
「無批判の愛国心は利己主義にすぎない」: 欠点や問題を無視した無批判な愛国心は、真の公共心や責任感に基づいたものではなく、単なる自己満足や独善に陥る危険性を指摘しています。
批判がないところに進歩はない。明るい日本をつくろうと思うから、日本の歴史を、過去と現在の暗黒面を直視するのだ。無批判の愛国心は利己主義にすぎない。 / 羽仁五郎 pic.twitter.com/G5dQ66oPu9
— かるまじろ (@karmajiro) August 30, 2019



































コメント
それをエライ人が言わないと理解出来ないならもう末期